「スパイラル・アライヴ」5巻(原作:城平京、作画:水野英多)

ついに「スパイラル」シリーズも完結することに。なんだか寂しくなるなあ。
勿論完璧ではない。が、城平京が主張してきたように、完璧でないことこそが、未来を示唆しているのだ。この作品の不完全さの多くは、自由や、愛や、良心が、決して完全ではないことに由来している。城平京がかつてよく口にした「ハートはミステリ」という言葉は、そういった精神に由来するものだろう。百合もそのような精神に基づくものだと、僕が信じていることは言うまでもない。


城平京らしい、すばらしい百合ミステリだった。
僕は雨苗×伊万里を決して忘れない。

「Princess Brave!」(KOTOKO)

まあ、普通に聴いていてこれは超ヤバい曲だ、と感じるような作品な訳ですが。
「Bride!」の歌詞中では彼氏役(=「My Prince」)の特徴が一切描写されていない、せいぜい「背伸びする」からPrincessよりも背が高いだろうなあとか、「彼の部屋の前」だから男性だなあとか、その程度だったのでした。
「恋愛の不可能性について」じゃないけれど、ある人を愛するときに、その理由を挙げることができるならばそれは根本的に愛ではない、とかいう話があって(有名百合テンプレ「貴女の顔が好きなの」とかもそこからの派生ですね)、ということは、《運命の恋》という概念は相手に一切依存しないものになる、というのは論理的帰結ですね、と。
で、さらに、「Brave!」においては、恋の相手は一切歌詞中に現れない。「愛さがす旅」の果てに見つけたのは「願い叶うKiss」であって彼氏ではなく、《Love》は相手の存在にまったく依存していない。
女の子の誇り高さ、を描こうとすると、窮極的には男の子を必要としなくなる、ということなのかしら。「恋に恋する」という言い回し(発明した人は天才だと思う)こそ恋の最も美しい姿なのだ(→そして、美しいことは強いことと同義である)、というのが1つの理屈として立つことを考えれば、自然ではあるなあ。ここまできっかり作りこむのはやっぱり凄いけど。
この極端さをその毒々しい声で謳い上げるKOTOKOは偉いとも。


……だからこういうこと書くなら少女漫画一通り読めって自分。


歌詞について。
・「剣士に負けぬ剣さばき」は「剣」が重なっていて言葉捌きがいまいち。
・「光を妬む魔女」=「絶望の魔女」の「心臓貫く」というのに、なんかこの唄のヤバさというか危険さというかが現れている。一番単純なレヴェルでは、悪い奴をぶっ殺すという話は倫理的に危ない、という話なんだけれど。単純にすばらしいというだけでなくて、そこらへんの危険な感じをちゃんとKOTOKOは反映している(逆?)。もうちょっといくと、百合のテンプレで「お姫様と結ばれる魔女」というのがあって、魔女=科学という繋がりまで見据えなきゃ? まあいいや。
・「閉じかけたGate ほんの少しPray 暗きGrave駆け抜けて」は漫画的に絵が浮かんで良い。
・2番サビ後の「Yeah!」と、「恋する少女を〜」のところの「Ah!」がステキ。こういうキッチュさにこそ美しいものは宿っていたりするんだと思う。
・「お仕着せのFate 諦めちゃSlave」と「恋する少女を世界はきっと待ってる」の2センテンスは単語のチョイスに強度があってよい。


あと、「Brave!」は理論上百合でも成立する(相手がいないから)けれど、そういう風に解釈できないように思えるのは何故か?
ちょっと考えれば理由は挙げられそうだけれど(例えば、百合は関係性を描くので単体で最強無敵な存在が出てきたら困る、とか)、多分そうやって挙げられた理由というのは嘘で、本当は無理でもなんでもない。ただ、前提が不足しているだけなのです、きっと。
つまり、2次創作なら可能です。例えばよしのんに独自解釈(=作者の実存)が加われば、それは「Brave!」になりうるはずです。そのような類の前提を共有することが、残念ながらこの曲では望めなかっただけではないでしょうか。
今の百合に求められるのは、前提を共有するまでに持っていくテクニックだと考えていたりするのですが、それについてはまたいつか。

「まんがタイムきららCarat」8月号

またしても1号遅れいぇーい。
ちょっとだけ。

「とらぶるクリック!!」(門瀬粗

黒以外の服もう持ってない、とか、いつもこないだ買った服、とか、説得力のある描写で良いです。服に対するこういった態度は、局所最適解、汎用性、無難さ、効率、といったものから自然に導き出されてしまうものであり、紬のような類の人間はそのような概念からなかなか逃れられないものではないでしょうか。

イチロー!」(未影)

フリーダムな押しかけ&撮影会っぷり、ななちゃんへのかいがいしい努力、帰ってのお楽しみという実益。詩乃ちゃんの描写にこの3つがきっちり揃っていて、良い。
自由で、けなげであり、しかも自己犠牲ではなく自分を幸せにしている――素敵です。

はるみねーしょん」(大沖

この作品の場合、言葉遊びというかオヤジギャグが面白いのではなく、コミュニケーションのあり方を鋭く描写しているときが面白いのです。最近この作品にネタ切れしそうな感じがひしひしと漂っているのは、コミュニケーションのあり方自体を描写するネタを出すのが大変だからではないでしょうか。
今回で言うと、P143、P144右、P145左、P147右が良かったです。というか今回はなかなか面白かったです。
言葉遊びだとピロシキが一番良かったかなー。

「空の下屋根の中」(双見酔

まあ前回・前々回ほど面白くはない。ニートの内面とかを描いてないので。
「お金がない」という問題に踏み込んだのは注目すべき点でしょう。

「アットホーム・ロマンス」(風華チルヲ

今回の感想ではなく、前から考えていたことをこれを気にまとめてみただけだけれども。
この作品、確かに怪作であるけれども、「まゆかのダーリン!」(渡辺純子)のヤバさには到底及ばないよなあ、と思った。
理由としては、
風華チルヲには(男性作家的な)照れがある?
・変態をあのような方法で変態であると描写しても、その変態さは心には響いてこない?
・登場人物の数の差? 数を増やすとヤバさは薄まる?(つまり平均とかメディアンとかは下がる)
とかかなあ。「アットホーム・ロマンス」を書いているときの風華チルヲでは、「まゆかのダーリン!」の一直線っぷりは表せないのでは、と。よく分からない法則に則って登場人物が動いてよく分からないけど結論が出た、みたいな風に感じる訳です。「作者の信じている度」という概念を導入すればいいんですかね。
えっと、いわゆる変態漫画(ex.「ロリコンフェニックス」「仮面のメイドガイ」)とかあんまり好きでない人間なので、一般性のある意見ではないかもしれない。

「まんがタイムきらら」7月号

この感想は1ヶ月遅れなのでご注意を。むー。

「あっちこっち」(異識)

僕は長い間「『あっちこっち』の登場人物は優秀だ」と言い続けてきたが、今回は本当に凄まじい。みんな完璧超人だ。
この缶蹴り、ふおんあたりを混ぜてもまったく違和感がない。すげえ……マジでやべえぜ。

ふおんコネクト」(ざら)

この世界にも、「京都大学」というものが存在するのですね。どんな現実の大学よりもきっとこの高校の方が7兆倍ぐらい樂しいと思うのだけれど、という引き戻され方をしてしまうなあ。
あ、でも、京都大学に進学するも友達とか出来なくて堕落して駄目駄目な人間になって留年しまくって修士6年目とかになって、な元巻さん想像すると萌えますね!(超偏見)
実質交流のヒモとか!

三者三葉」(荒井チェリー

僕たちの住むこの世界を鋭い観察で写し取っていると思う。
確かに、普通に生きていれば、返事を期待されるよね。メールが機械翻訳ぽかったりするよね。メガネが余計なこと言うよね。好みのタイプは年の大半が船に乗っている人だよね。土下座でお礼ですよね。要約させられるよね。
人間観察がすばらしいなあ。

きつねさんに化かされたい!」(桑原ひひひ

理屈が暴走してみんなで「あああどうしよう……」って頭を抱える感じが桑原ひひひの真骨頂だった、と久しぶりに思い出させられた。
混乱している状況で外部の人間が来ると、混乱している人は凄いことを言うので、それを聞いた相手がまた別の所で混乱して……という描写も、混乱の本質を捉えていてよいと思う。

「ダブルナイト」(玉岡かがり

また新キャラ(プリンス)の出し方が下手だなあと思う。
登場で失敗したキャラをその後馴染ませることにかけては一級品なので心配はしていないが、キャラが登場に失敗するのを見るたびに、そのキャラのことがかわいそうに思えてくる。

けいおん!」(かきふらい

これを読めば「端的に言って、ゆとることは正しい」ということが分かる。まだゆとりの正しさを知らない人はぜひ読むべき。
それはともかく、よく見ると絵柄的に問題を抱えているような気もする。澪だって、絵柄の問題点を改善すればもっと可愛さが安定すると思うのだが。

ゆゆ式」(三上小又

今まで触れてこなかった、というより半ば意識的に無視してきたけれど、ゆとり的に言って期待の作品ではあります。ただ、「起承転結がない」を文字通りに捉えている作者なので、心配な面があります(今回も何箇所か危ない箇所がありました)。
そういった意味で、先生が素敵な人だ、というのはゆとり的秩序の安定のために重要なので(理由は多分、「ゆとり的世界観は社会に出ても持ち続けることが出来るのだ」と読者に思わせる作用があるため)、今後は眼が離せないかも。

「Sweet Home」(やまぶき綾)

作者の描く人間関係には、いつもトゥルーさがあっていいです。
比べてみると、やまぶき綾は公野櫻子が抱える問題のうち幾らかを回避することに成功はしていますが、逆にある種の破壊力を捨てているようにも見えます。個人的には好ましいことだと思うけど、問題になってくる場面もあるかも。

「てとてとてとて」(七松建司

密度とか距離感とかキャラデザインとかの萌え最適化(念のため、ここでは萌えを特殊な意味合いで遣っています)されていない具合はやっぱりきららにおいては致命傷だったよね、とは確認しつつ、エンディングっぽさをきちんと演出できている良い最終回だとは思う。
ちなみに、ここで終わらなかったとしたらどういう風にしていくつもりだったんだろう。

「まんがタイムきららCarat」7月号

どこで新しい概念が提唱されていて、どこが正準的な展開で、どこが極めてテクニカルな操作で、どこが間違った筋道なのか、というのを意識して語ると、世界はもっと見通しが良くなると思います。

「CIRCLEさーくる」(榊)

「現実」について。
「現実」という如何わしい世界観において、人間は、年齢に応じた樂しみを持たなければならず、年甲斐もないような樂しみに熱中している人間は社会的に排除され、矯正される――ということになっています(リア充の特徴付けの1つとして、この世界観を無意識のうちに内面化し摩擦を感じていない、というものが考えられるかも)。
で、往々にしてフィクションの中によく出てくる「青春」とは、「現実」における1つの時期のことだったりします。この作品においても、そのような世界観が採用されています。例えば「先輩たちは大学を卒業したらサークルから去る」ということに小金井嬢は寂しさを感じていたり。社会人になったら、先輩たちは「社会人」になる訳で、そうなると漫研からは基本的に身を引く、という訳です。
……そんなヲタサー、果たしてこの世にあるんですか?
まあ勿論、もう少し本質的な批判も考えられますが。「年齢に応じた樂しみを持つ」ということが仮に正しいとしても、そんなせせこましい「正しさ」よりも、愚かしくも誇り高い「誤り」が存在するはずだ、みたいな。

「雅さんちの戦闘事情」(鬼八頭かかし

種類の違うベタさが交じり合っていて、微妙に不自然。確かに、種類の違うベタさがあるからこそ出来た展開もあったのですが(「内心ホッとしたアングルボザであった!!」のところ)

ゆゆ式」(三上小又

萌え4コマには起承転結がない、という悪罵がありまして、そういうことを言うと「あーこの人は含みを読み取るだけのリテラシがないんだなー」と莫迦にされる訳ですが、三上小又はそれを本気で信じている気がします。
そのせいで、良い部分と悪い部分の差が激しいような。僕は(もう何回言うんだか)ソフト百合SM以外期待してないので、66ページ左側が一番良いと思います。で、今回は全体に微妙な気がします。萌え4コマにおいて、起承転結的な意味で何もしていないときというのは、キャラの含みや世界観を操っている訳ですが、そこらへんが意識されていないような。

まじん☆プラナ」(nino)

また河原チームの回。ラニ。作者が僕にサーヴィスしてるんでしょうか(ないって)。でもこんなに頻度が高いのは上手い手ではないよなあ。
86ページ左側「ワケ」は、河原君を重い存在として扱っています。一歩踏み込んだといえばそうですし、今まで妄想として語られてきたことに土台が与えられるようになる訳ですが、萌え4コマ的に言えば含みを1つ解消したことになるので、苦しくなります。
含み最大化は殆ど萌え4コマの至上原理といえますが、さて。
VSリッカ部分みたいな論理の遣い方はふつーに好き。「今までの設定は、不可能性の規定としてではなく、可能性を内在するものとしてみるべし」は極めて一般的なルールですよね。

「うらバン! 〜浦和泉高等学校吹奏楽部〜」(都桜和)

あさみん良い。なぜ良いかは今度考える。

「空の下屋根の中」(双見酔

この作品に存在する時間は3つだけです。「今日」と、「明日からは」と、「いつか」です。
こういう、時間の流れという概念が欠如した世界において、ニートがどのようなものに見えるのか? ――ということを考えれば、色々分かると思います。まあ端的に言っちゃえば、みんな年を取らなければフローがマイナスでない限りずっと親にパラサイト出来るので、「このままだと将来がどう考えてものたれ死にしかない」みたいな絶望はないですよね。
だからこの作品における人間描写は駄目だという訳ではなく、そういう認識で世界を語らなければ絶望に押しつぶされてしまうニート、みたいなのが見えてきます。
あと、というかこちらが本筋なんですけれど、コミュニケーションとか、元気が湧いてこないこととかに対する描写は、単純なモデルを相手にしているがゆえ、極めて鋭いです。2人で「遊ぶ」シーンの痛さとかきっつくて、こういう描写できるの本当に凄いです。必見。ガチです。

キルミーベイベー」(カヅホ)

完全に方向転換が成功している。
折部やすなのキャラクタデザインのすばらしさがこの作品を救ったのだなあ、と感じられる。きらきらと光っている。

「ちびでびっ!」(寺本薫

関係入れ替えただけみたいな話を昔描かなかったっけ? 触れたら駄目なことになってるのかな?

「まんがタイムきらら」6月号

最近書いてなかったので追いつくために。
一部はずいぶん前に書いたので、まあ、その。

「あっちこっち」(異識)

告白された、というのは面白い出来事である。
この告白の結果がどうなったのかが次号以降スルーされるのであれば、彼らの不気味さを表現しているようで、面白い。
いつの間にか恋人が出来ているのであれば、んー、色々なパターンがあってなんともいえない。

ドージンワーク」(ヒロユキ)

なんか気持ち悪い。
コミケとは、こういう自己認識を抱いている人間が大手にのし上がる/のし上がれる場所だったのかしら。自分自身の記憶と照らし合わせて、誠実に描いている、と作者は言えるのだろうか。

「SweetHome」(やまぶき綾)

ハーレム物についての認識を歪めさせる、やまぶき綾ワールド。確かにハーレム物の定番をやっているのだけど、何か根本的なところでやまぶき綾すぎて。
でも、とはいってもやまぶき綾ならば他の作品の方が好きかもしれない。

「さくらりちぇっと」(月見里中

弱い。どうも、あるあるネタはそれだけでは駄目っぽい。もうちょっと幅を狭く取る(リスキィだが)か、キャラの可愛さを押し出すかしないといけないような気がする。

「―そら―」(白雪しおん

ソラとイルマがラヴいなあ。これだけでどうこう、とかいうタイプの人ではないですけれど妄想可能なのは良いことだ。