「まんがタイムきららCarat」8月号
またしても1号遅れいぇーい。
ちょっとだけ。
「とらぶるクリック!!」(門瀬粗)
黒以外の服もう持ってない、とか、いつもこないだ買った服、とか、説得力のある描写で良いです。服に対するこういった態度は、局所最適解、汎用性、無難さ、効率、といったものから自然に導き出されてしまうものであり、紬のような類の人間はそのような概念からなかなか逃れられないものではないでしょうか。
「イチロー!」(未影)
フリーダムな押しかけ&撮影会っぷり、ななちゃんへのかいがいしい努力、帰ってのお楽しみという実益。詩乃ちゃんの描写にこの3つがきっちり揃っていて、良い。
自由で、けなげであり、しかも自己犠牲ではなく自分を幸せにしている――素敵です。
「はるみねーしょん」(大沖)
この作品の場合、言葉遊びというかオヤジギャグが面白いのではなく、コミュニケーションのあり方を鋭く描写しているときが面白いのです。最近この作品にネタ切れしそうな感じがひしひしと漂っているのは、コミュニケーションのあり方自体を描写するネタを出すのが大変だからではないでしょうか。
今回で言うと、P143、P144右、P145左、P147右が良かったです。というか今回はなかなか面白かったです。
言葉遊びだとピロシキが一番良かったかなー。
「アットホーム・ロマンス」(風華チルヲ)
今回の感想ではなく、前から考えていたことをこれを気にまとめてみただけだけれども。
この作品、確かに怪作であるけれども、「まゆかのダーリン!」(渡辺純子)のヤバさには到底及ばないよなあ、と思った。
理由としては、
・風華チルヲには(男性作家的な)照れがある?
・変態をあのような方法で変態であると描写しても、その変態さは心には響いてこない?
・登場人物の数の差? 数を増やすとヤバさは薄まる?(つまり平均とかメディアンとかは下がる)
とかかなあ。「アットホーム・ロマンス」を書いているときの風華チルヲでは、「まゆかのダーリン!」の一直線っぷりは表せないのでは、と。よく分からない法則に則って登場人物が動いてよく分からないけど結論が出た、みたいな風に感じる訳です。「作者の信じている度」という概念を導入すればいいんですかね。
えっと、いわゆる変態漫画(ex.「ロリコンフェニックス」「仮面のメイドガイ」)とかあんまり好きでない人間なので、一般性のある意見ではないかもしれない。