「まんがタイムきららCarat」7月号

どこで新しい概念が提唱されていて、どこが正準的な展開で、どこが極めてテクニカルな操作で、どこが間違った筋道なのか、というのを意識して語ると、世界はもっと見通しが良くなると思います。

「CIRCLEさーくる」(榊)

「現実」について。
「現実」という如何わしい世界観において、人間は、年齢に応じた樂しみを持たなければならず、年甲斐もないような樂しみに熱中している人間は社会的に排除され、矯正される――ということになっています(リア充の特徴付けの1つとして、この世界観を無意識のうちに内面化し摩擦を感じていない、というものが考えられるかも)。
で、往々にしてフィクションの中によく出てくる「青春」とは、「現実」における1つの時期のことだったりします。この作品においても、そのような世界観が採用されています。例えば「先輩たちは大学を卒業したらサークルから去る」ということに小金井嬢は寂しさを感じていたり。社会人になったら、先輩たちは「社会人」になる訳で、そうなると漫研からは基本的に身を引く、という訳です。
……そんなヲタサー、果たしてこの世にあるんですか?
まあ勿論、もう少し本質的な批判も考えられますが。「年齢に応じた樂しみを持つ」ということが仮に正しいとしても、そんなせせこましい「正しさ」よりも、愚かしくも誇り高い「誤り」が存在するはずだ、みたいな。

「雅さんちの戦闘事情」(鬼八頭かかし

種類の違うベタさが交じり合っていて、微妙に不自然。確かに、種類の違うベタさがあるからこそ出来た展開もあったのですが(「内心ホッとしたアングルボザであった!!」のところ)

ゆゆ式」(三上小又

萌え4コマには起承転結がない、という悪罵がありまして、そういうことを言うと「あーこの人は含みを読み取るだけのリテラシがないんだなー」と莫迦にされる訳ですが、三上小又はそれを本気で信じている気がします。
そのせいで、良い部分と悪い部分の差が激しいような。僕は(もう何回言うんだか)ソフト百合SM以外期待してないので、66ページ左側が一番良いと思います。で、今回は全体に微妙な気がします。萌え4コマにおいて、起承転結的な意味で何もしていないときというのは、キャラの含みや世界観を操っている訳ですが、そこらへんが意識されていないような。

まじん☆プラナ」(nino)

また河原チームの回。ラニ。作者が僕にサーヴィスしてるんでしょうか(ないって)。でもこんなに頻度が高いのは上手い手ではないよなあ。
86ページ左側「ワケ」は、河原君を重い存在として扱っています。一歩踏み込んだといえばそうですし、今まで妄想として語られてきたことに土台が与えられるようになる訳ですが、萌え4コマ的に言えば含みを1つ解消したことになるので、苦しくなります。
含み最大化は殆ど萌え4コマの至上原理といえますが、さて。
VSリッカ部分みたいな論理の遣い方はふつーに好き。「今までの設定は、不可能性の規定としてではなく、可能性を内在するものとしてみるべし」は極めて一般的なルールですよね。

「うらバン! 〜浦和泉高等学校吹奏楽部〜」(都桜和)

あさみん良い。なぜ良いかは今度考える。

「空の下屋根の中」(双見酔

この作品に存在する時間は3つだけです。「今日」と、「明日からは」と、「いつか」です。
こういう、時間の流れという概念が欠如した世界において、ニートがどのようなものに見えるのか? ――ということを考えれば、色々分かると思います。まあ端的に言っちゃえば、みんな年を取らなければフローがマイナスでない限りずっと親にパラサイト出来るので、「このままだと将来がどう考えてものたれ死にしかない」みたいな絶望はないですよね。
だからこの作品における人間描写は駄目だという訳ではなく、そういう認識で世界を語らなければ絶望に押しつぶされてしまうニート、みたいなのが見えてきます。
あと、というかこちらが本筋なんですけれど、コミュニケーションとか、元気が湧いてこないこととかに対する描写は、単純なモデルを相手にしているがゆえ、極めて鋭いです。2人で「遊ぶ」シーンの痛さとかきっつくて、こういう描写できるの本当に凄いです。必見。ガチです。

キルミーベイベー」(カヅホ)

完全に方向転換が成功している。
折部やすなのキャラクタデザインのすばらしさがこの作品を救ったのだなあ、と感じられる。きらきらと光っている。

「ちびでびっ!」(寺本薫

関係入れ替えただけみたいな話を昔描かなかったっけ? 触れたら駄目なことになってるのかな?