「けいおん!」1巻(かきふらい)

「ゆるやか部活ライフ始めました」「みんなで一緒に音を合わせるって、すっごく楽しい!」「BEATで萌えるのだ!」といったコピーが哀れすぎる。ここまでヘボい単語を並べられるのは凄い。
基本的には、彼女たちの部活をしていない様子に喜びを覚える漫画に見える。なんかつまらないと思ったら部活をしていたからだった、ということはよくある。こういう集団のすばらしさを褒め称えるために「ゆとり」という言葉を遣いたいなあ、と思う。
律ちゃん可愛いは理解も共感も出来るが、強い感情は別に感じない。そこらへんの萌え回路が欠落したまま育ったのでしょう。みゅー。

昨日はfamineさんid:arctanさん、obiekt229さんplalaの方のサイトは消えてる?)と、秋葉原でお話してきました。この手の話題に関するオフ会(といっても初対面なのはobiekt229さんだけだったのですが)に参加したのは初めてだったので、新鮮な体験でした。
以下はメモですが、僕のレヴェルが低くて、会話についていけない部分が少なからず存在したので、事実誤認が含まれている可能性が極めて高いです。あと、自明ですが切り取り方にも恣意性があります。

・「ふおんコネクト!」とベンヤミンササキバラ・ゴウ福嶋亮大と。
・ヤバい系の二次創作はあまり知られていなかった。じゃあみんな何を読んでいるのかしら、と疑問を感じた僕はやはりアレなのでしょう。
・東方であれこれするならゲーム史(特にシューティング史)は押さえておきましょうよ、と叱られるも、ゲームに対して興味の湧かない心底ゆとりな僕。というか自分がそこらへんに興味を持ってまじめに取り組みだしたらもはやそれは自分ではない何かな気がする(否定文でしか自己を規定しようとしない僕の態度はいい加減どうにかしないと、ですね。むー)。
・性的関係とか変革とか交換不可能性とか、と、百合。arctanさんがきっちり問題の所在と不毛さを整理してくれて助かった。
・18時ごろにようやく、すぐそばで通り魔事件が起きていたことを知る。現代社会は「非日常」による侵食に対して、怖いくらいのスルー能力を備えているのだなあ、というようなことを感じた。
・百合について話すときは、プラグマティックな態度で臨んだ方がよさそう?
・「さくらふぶきに咲く背中」(中村明日美子)の綱渡りっぷりに一同ため息。
・花の香りの絶対支配。みんな(特にobiekt229さん)絵を詳細に分析する眼があって凄い。僕にはそういうのは致命的に欠けているので。

「まんがタイムきららCarat」6月号

かみさまのいうとおり!」(湖西晶

鼻血ネタとかの扱い方の、自分のぼんやりと考えているところへの接近というのは、なんかこう逆に不気味なものを感じてしまうのですが、というか他にも可能性はあるんじゃないのかなとか心配になるのですが、一応そういうことを言った身としては、まあ、その。

「火星ロボ大決戦!」(なかま亜咲

アデリーについて読者との間に合意が得られていないのが問題では。

「パペット☆ネイバーズ」(海産物)

絵柄は結構理屈のある感じで、悪くないよね。
サボテンと比べればワンアイデア以上のものが難しそう度は低そうです。というのも、お姉さんが居るからです。家族や小学校というものを閉鎖的な存在として描くと、萌え4コマの「自由」という力は発揮されなくなるのですが。お姉さんと2人の子供の関係は、そうではない、というか、まさに萌え4コマ的な「自由」そのものです。
かおるちゃんに親が居るのは中期的に見れば問題になってきそうな気がするなぁ、というのが第一感だったのですが、大体そういう感じかな。

補足:自由に鍵括弧をつけたのは、ある程度はそこらへんの概念をニュートラルに扱っておくべきな気がしますよ、ということです。完全にそれで正しい、とまでは僕には言い切れません。

「ハッピーとれいるず」(荒井チェリー

ここで終了するのはキャラ的な意味で勿体無さすぎる、と、しかしまたクロスオヴァるんですかね。まあ、それにしても勿体無い。
「でしょう?」「はい」「は……初仕事……」「変化の術かと思った!!」「こっこれがウワサの山田さん!?」「一芽はその上をいってるぞ!!」、そしてラストで「ヒマなの?」「ですかね」。あまりにエンディング的なものを進める手つきがこなれている。そういえば女性作家でしたね。そういう系統のウェブコミってありますよね。
すばらしい。

はるみねーしょん」(大沖

「とうふに棒を刺す占い」は素直にやってみたい。
ツッコミが悪い方向に作用している、という気はしなくもない。

まじん☆プラナ」(nino)

経済学を持ち出すまでもなく(というか僕は経済学を何も知らないのですが)所有という概念やお金というのは非常に複雑怪奇なもので、その一例として、河原君を観察すると色々と知見が得られそうな感じはします。

「空の下屋根の中」(双見酔

任意たん萌え4コマというラインがまたも。いや、才能にあふれる人々がその才能を発揮できる場所を与えられるというのはすばらしいことで、歓迎すべきことではあります。もっとやれー。でも、すか、saxyunに加えてこの人までニートをテーマにするのは何なんだろうか(正確に言えば「ゆるめいつ」はニートではないが、まあ似たようなものというか一番酷いし)。
内容はといえば、病的なまでの清潔感で、かつニートをストレートに描く、という欺瞞が、極めてすばらしいです。マジで。百合的にはどう読めばいいのかといえば明らかで、同級生のヒモとして生活するルートですね。
へっぽこくんあたりとの間にラインを見出すことも出来るかもしれない。絵柄もですけど、「こねロス」におけるネトゲの捉え方とか、そこらへんがなんとも近い(この人もROの人だったりですよね、アンソロは読んでませんが)。
とだけ書いても何のことか分からないと思うので、当時付けていた個人的な覚書から「こねロス」についての感想を引用してみる。

ネットゲームを百合向き(んー、萌え向き、と言った方がいいかな。微妙)に再解釈している。この腕前が自然ですばらしい。
きららに掲載される多くの萌え4コマでは、PC・ネット関係のものを廃人的に再解釈している(恐らく、これはきららの多くの作者が同人・webcomic出身であることが大きい)。漫画をコントロールする、という側面においては、この解釈は非常に便利だと思う。しかし、萌え的には(=百合的には)嫌な感じにすさんでいる気がしなくもない。
「ゲーム内のキャラクタを演じている自分を、俯瞰している自分が居る」、という感覚がすさむ原因かな。いつも思うのだが、何よりも重要なのはロールプレイが樂しいということで、寝不足だよあははーとかはどうでもいいことに分類されるはずだろう。
さらにいえば、悪い子が更正する話ではないところがすばらしい。悪い子は駄目だが、悪い子が更正するのはもっと駄目じゃないだろうか。

そういうこと。
それにしても、「あれ以外の何か with "任意"」という言葉の、想像を喚起させる度合いは凄いと思いませんか。これぞ少女、って感じです(と前回の話に繋いでみる)。

「Cherry☆Berry」(やまぶき綾)

やまぶき綾超支援。

キルミーベイベー」(カヅホ)

今まで感想書かなかったけれども、まあ第1回から自明に分かるであろうこととして、人を殺す、ということの重々しさは、どう考えても出てきますよね。だから、やすなの舐め切った態度を中心として話が動く。それが面白いので、まあ、よいことです。
おっぱいに物が挟まらなくなった「はずむ! おじょうさま」とか、最近そういう方針展開を堂々とやるようになりましたよね。根本的な問題で上手く行かない作品が沢山あった数年前のきららから、教訓を得たのかもしれない。

「コミック百合姫」Vol.12

作品――短編百合作品を手筋というブロックに分解して作品を読み解くことの功罪について考えている。極めて有用であることは間違いないのだが。
沢山あるつまらない作品をけなしてもしょうがないので、何か考えさせられた作品についてのみ書きます。

「さくら文通」(日輪早夜)

髪の描写が僕の読まない類の文化圏のものでした。
それはともかく。「その人の本当の心は、もう文章で知っている」というテーゼが百合的なので、この作品が凡庸で世界にもう何千と存在していることは間違いないですがまあいいかという気にはなりますよね。

「クローバー」(乙ひより)

極めて優れています。
乙ひよりの手筋遣いっぷり、特に旋回の手並みの軽やかさについてはもはや言うまでもないのだろうけれども。好きの定義、内面と見かけの二項対立、恋愛の二者択一性、そこらへんを一通り検討しきった感を平然と見せているのは、この世知辛い商業百合業界においては嬉しいことです。重力を人間を地球に縛り付ける枷として把握するよりも、Newton力学をルールとして分析し、その知識を利用して宇宙へ飛ぶロケットを設計する方が、善いことではないでしょうか、と、ここでの「検討」とはそういう意味です。
その上で、フラレ女萌えという僕の属性をしっかりとした照準で射抜いたので、もう言うことはありません。

「いちごいちごいちご」(タカハシマコ

てーか、流石に誰かが言っておくべきだと思うんですけど……百合とは少女に関する諸問題を扱うジャンルではありません。
個人的には、少女がどうとかいうのを大々的に百合に持ち込むのは、あんまりよくないんじゃないかなあ、と思っています。少女がどうの、というのは百合の中では重要ではあるもののサブ・テーマに属するんじゃないかと。非常に優れた人々の間でも(意図的に?)混同がなされているっぽいので、そこらへんはっきりさせないとまずいなあと思っています。
勿論少女に関する諸問題も僕にとっては非常に巨大な、巨大な、巨大なテーマですが、最近は、「少女」という単語の背後に存在するイメージ、僕たちが2次創作小説を読みながら確かに感じたあのイメージを抱きながら、「少女」という文字列以外のものを持ち込まないことこそが一番よい立場なのではないかな、と思っています(ちなみに、「少女=砂糖+毒」みたいな至上主義というか嫌がらせというかオリエンタリズムというかは、どうかと思うのですがどうでしょう)。
えーっと、で、この作品の話でした。まあ前置きが本論より長いのはいつもだからいいよね?
いや、それを踏まえたうえで、上手いです。「女の子」という言葉を言葉そのものの形で飛ばしているのもですし、「少女」は得体の知れない恐ろしい美しき存在であるみたいな押し付けもないし、読まず嫌いしていたのですがもしかしていい作家なのかもしれません(あるいは、いい作家になってきたのかもしれません)。

「うつくしいもの」(袴田めら

最近の袴田めらの迷走については、時間があれば整理したいところなんだけれども、むー。
「百合は少女の揺れる心を描くべき」とかいう圧力の問題? よく分からない。

「魔女狩り」(森島恒雄)

63-64ページより引用。

 そこで、魔女裁判を異端審問として正当化することが、いいかえれば、「魔女」が「異端者」であることの証明が、教会当局にとって必要、かつ重要な課題となった。この課題を解決する役割を引受け、それをもっとも見事に果したのが『魔女の槌』であった。同書がその冒頭においてこの問題を取り上げたのはもっともなことであった。この新書版に邦訳するとすれば一〇〇〇頁を越えるであろう『魔女の槌』の三分の一をそれに当てた第一部の長々しい論証によって確立された結論は、「魔女は悪魔と盟約を結んで悪魔に臣従し、その代償として悪魔の魔力を与えられ、超自然的な妖術を行なうことができる」ということだった。
 ここにおいて魔女は「明らかな異端を伴なう」どころか、「異端者の中でも極悪の異端者」となった。「他の異端には悪魔との結託ということはない。魔女の異端の忌まわしさは、この悪魔と人間との汚らわしい関係にある。」魔女は、魔女が行なった刑事犯的な「行為」のためではなく、その行為以前の「悪魔との結託」という、キリスト教的な「魂の堕落」のために裁かれることになるのである。だから、魔力によってたとえ善行を行なった「白い魔女」といえども、その行為以前の悪魔との契約によって「異端者」であり、焼かれねばならぬ、というのが神学的常識となった。

涼宮ハルヒの憂鬱」の2次創作について。「〜の驚愕」が出るまでに2次創作上で解決されなければならない、「〜の分裂」において谷川流によって提示された問題。だと、僕が思い込んでいること。
エロパロ板とかの中〜長編SSを一通り読んでいれば、言いたいことは通じるんじゃないかなあ、と思います。
書いたのは200801ごろで、2次創作についてあんまりうだうだ言うのはどうなんだろう(商業であれば「プロである以上批判も折込済みのはず」とかいう言い訳は出来るけれど、ネット上のSSではそういうことはいえませんよね)とか思ってはてなの方にアップはしなかったのですが、まぁ具体的な作品について何か言っている訳ではないのでまあいいですよね。
今考えてみると甘い部分もありますがご愛嬌。


最初から。
世界改変能力というのは、勿論2次創作のことです。だからハルヒの2次創作というとまず「涼宮ハルヒがXを望んだ」というかたちでXが起きる、という風にお話が展開することになります。これは色々とスポイルしていて、例えば古キョンSSとかそうじゃないものでいっぱいな気がするのですが、そしてそこにこそ人間の善き部分があって、この問題に回答を与えるときにはそこらへんが重要になってくるような気がするのですが、まぁ、その。ここではまず、「もしXだったとしたら」という形のものを考えてみることにしましょう。一番手っ取り早いのは、再構成モノです。「もしSOS団の性別が丸ごと反対だったら」でもいいですし、「もしSOS団メンバが佐々木、橘、藤原、九曜、キョンだったら」でもいいでしょう。
例えば、マリみてであれば、それは単なるパラレルワールドの話です。勿論、超常的な力によってみたいな説明があってもいいですが、それはその作品世界内での話です。
一方、時間、空間、別の世界に関する能力が出てくるお話においては、特にメタい話の場合は、単なるパラレルワールド、というのはなんだかなぁ、となります。作品内でのルールに回収したくなる、という心の動きが生まれます。
例えばひぐらしなんかだと、みんながいちゃいちゃしている話が大好きな人が多いようで、ある1ループとしてこんな世界もあるんじゃないかみたいな2次創作よりも全部終わった後のヒロインとのいちゃいちゃみたいなのが多い気がするのですが(ひぐらしの2次創作はあんまり見ていないので自信ありません)、多くのループ作品の2次創作では「もしかしたら存在したある1ループ」が基本ですよね。で、ハルヒであれば、このパラレルワールドは世界が改変を受けた結果である、という風になるわけです。


で、ここからが本題なんですけれども。
これは、2次創作の自由性をあらかじめ閉じ込めておく、吐き気のするような作者側の厭らしさ、と思うことも出来ると思うのです(2次創作の自由性を閉じ込めるような厭らしさについて考えることは極めて重要だと思います。最も重要と言ってもいい)。
ループのことを考えてみましょう。ここでいうループは、「エンドレスエイト」でもひぐらしでもいいですが、「ループに迷い込む→何百周もする→ある1周において主人公たちはついにループから脱出する」というものです。
ここでは、最後の1周以外の全てのループは、最後の1周(およびそれ以降の続いていく未来)に従属させられています。それは選び取られなかった可能性であり、未来を持ちません。だから、「あったかもしれない1つのループ」を描くのは、あらかじめ作者によって囲われた世界のなかで、何かをするだけ、とも言えます。何より結末が固定されています。厭らしいです。
ハルヒにおいても事情は同じように見えます。SOS団の男女が反転し、それはハルヒが望んだからだと分かり、長門キョンが頑張って、世界は元に戻る。パラレルワールドは原作世界に従属していて、最終的には秩序が回復する――一般的なアニメの劇場版みたいな。


しかし、ループと世界改変能力には、本質的な違いがあります。
ループは主-従の関係が1階分しかなく、またその関係も固定的です。しかし、世界の改変は何度でも、また何重にでも行われ得るものです。主-従の関係も、何度だってひっくり返ります。
どういうことかといえば、例えばもしかしたら本当のSOS団は「世界を大いに盛り上げる佐々木の団」で、僕たちの読んだ小説に描かれているのは佐々木の望んだパラレルワールドかもしれません。あるいは、その「本当は佐々木が〜」という設定の方が涼宮ハルヒの「普通の女の子になりたい」という願望の生んだものかもしれません。
あるいは、もしかしたら世界改変能力を持っていたのはあなた――この文章を読んでいるあなた、だったのかもしれません。避け得ない悲劇を目撃したあなたが、現実を拒み再構成した世界こそ、今ここの世界なのかもしれません。あなたの体験した出来事は、この世界では「涼宮ハルヒの憂鬱」という書物の形で(少々キャラのアレンジは加えられて)出回っているのかもしれません。
……これをどんどん繰り返していくと流石にSSとして成立しなくなりますが、大事なのは、「原作に従属しているようで、実は原作側が従属しているのかもしれない」という可能性があることです。関係がひっくり返される快感です。ループでは、コレは出来ません。


なので、そういうSSがあったら誰か教えてください。それか、だれか書いてください。
論理的に言って書かれるのが必然だと思うのですが、まだ見たことないです。


全てのパラレルワールドが幸せでありますよう祈ります、と、そういう話もちょっとある。


結論:巡り巡って考えてみると谷川流の最高傑作はハルヒシリーズ。
ハルヒ最終巻の展開は「今、この瞬間、あたし――朝比奈みくるは、キミのことを見ているのです」。

「まんがタイムきらら」5月号

かつてのような視点を自分が保ちうるか、ということについては自信がない。
が、出来る限りその視点から読み解きたい、と思う。

ドージンワーク」(ヒロユキ)

注目している点は、と訊かれたら、勿論大きくなったソーラですが。
エロい人とかどうとかいうのは、うーん、自分の世界観とは違います、と(あ、某所の役職の話ではないです)。この作品というのは同人世界的常識と一般人的常識のズレがどうのみたいな話、僕はそれに対して本当にそんな共有されているような常識あるのかよ外部からの視線を内面化してんじゃないのそもそもオタクは存在しないんだぜbyラカン、とか思っていたんですが、ああいう世界観が本当にその手の人々の間で共有されていて1つの文化圏になっているんじゃないのかみたいな可能性が最近浮上してきて、もしそれが本当だとすると要するに僕はハブられていたんですね! とか、そんな近況です。
現実世界には詳しくないのですが実際どうなのかしら? 「お前は否定しているけれどお前はエロいんだよ!」とか言い合うのは、気持ち悪いリア充DQNのじゃれ合いでしかないだろ、とだけは表明しておく。

「あっちこっち」(異識)

ああいうデフォルメをされたキャラクタに身長とか体重とか胸囲とかそういうのがきっちりあるというのはよく考えてみると不思議だなあと思ったり。
あの3人はちっちゃい女の子3人組なのか、それとも真宵や姫あたりが普通の女の子サイズなのか、というのについていまいち理解していないのですがどうなっているのでしょうか。しっかり絵を観察しながら読み返せば分かるのかもしれないけどやんない。めんどいし、統一した世界観としての必然があるならば絵自体を見る必要は本来ないとかそういうことも思ったりしたりしなかったりするので。

けいおん!」(かきふらい

「ふでペン 〜ボールペン〜」はセンスの外し方がツボにはまった。
あとはあんまり面白くなかったような。……まじめに部活動やってたからか。

ふおんコネクト!」(ざら)

第2期の終わりに。
「あきらめない」。「まだだ」、「まだ終わらんよ」。そう、「"何か"が存在するかたちは」「決して一つじゃない」んだから、それでも、世界をオプティミスティックに信じるのですぜ。まさか悲観やオリエンタリズムが全ての根源だなんて言う人間はいませんよね? 
ところでラスト。「ふおんコネクト!」の世界にループの1年以降の時間が存在することが初めて明らかになったんじゃないでしょうか(読み返していないですが)。もしかしてあの世界は永遠に1年を繰り返していてそれが世界の終わりなんじゃないのか、とかいう話は否定されることに。そういう想像力を潰されると萎えます。2次創作をさせてくれ。

棺担ぎのクロ。〜懐中旅話〜」(きゆづきさとこ

聖剣伝説 Legend of Mana」は好きなゲームです。

「メロ^{3}!」(野々原ちき

個人的には、女の子が指を鳴らせばヘリに銃、みたいな趣味はどうかなあ、と思います。
それだったら「ハヤテのごとく!」みたいに扱わないと。

天然あるみにゅーむ!」(こむそう

漫画に出てくる女の子の可愛さについてこの作者と話し合ったら、頭が痛くなるかもしれない。

ゆゆ式」(三上小又

やっぱりソフト百合SMですよね!
……としかこの作品については前から言ってないけど、でもなんといってもやっぱりソフト百合SMなんですよ!!
ということでもっとやってください。

「ぬるゲ」(早苗)

酒飲んだ人見るの嫌い。

二丁目路地裏探偵奇譚」(コバヤシテツヤ

昔はアリスかわいい漫画でしたよね。
最近はゲストに出てくる女の子の雰囲気を毎回楽しんでいます。P166右側2コマ目、みたいなの。
嘘がどうのとかいうのはちょっと理屈に追いつけないです。ジョジョのキャラみたいな感じでしょうか。

「さくらりちぇっと」(月見里中

こーちんの過去。MF文庫のあんまり面白くない作品みたいな(偏見丸出しの発言)。

「僕の姫君」(宮賀暦)

こ……これはガンガン系とかいうやつじゃないですか!?
いやガンガン系の定義をまた曖昧にするような発言ですけど、要するにDQ4コママンガ劇場の番外編を彷彿とさせてアレです。
構図や絵柄も含めてこれは(たとえ不合理であったとしても)応援せざるを得ないですよぅ! 僕はDQ4コママンガ劇場の子供なのですから。

ねこきっさ」(ととねみぎ

最高学府(笑)