「まんがタイムきららフォワード」3月号

値段は気にしないが(コストパフォーマンスを気にするような人間に同人誌は買い漁れないし)、「これを読んでいるより他のことした方が樂しいんじゃないのか」と思わされるのは辛い。勿論、惰性の力は強力なので買い続けるのだが。
世界には莫大な量の魅力的なテンプレートが存在するのに、何故わざわざこんなつまらんテンプレを持ってくるのだ、という作品があまりに多く思えるので、そこだけでも改善していただければ……。
ということで感想もあんまり熱くないし「駄目」連呼です。うにゅう。

一年生になっちゃったら」(大井昌和

「この作品に出てくる小学1年生は可愛い」という、この作品の前提に同意できないので、何が面白いのか全然分からない。
プッシュされてるし人気なのか。誰かこの作品が好きな人が居たら魅力を説明してほしいなぁ(かなり本気でどこも面白く思えないので説得される気は全然しないのですが)。

S線上のテナ」(岬下部せすな

アルン邸に到着からテナがキレるまでのあたりの流れが凄まじく上手い。岬下部流奥義が炸裂! としか言いようがない。
こういうところの上手さを伝える言葉が無いのが歯がゆい。「あっちこっち」や「スキっ! キライっ!」のすばらしさは文章にしやすいから沢山書け、書くことで考えが整理されるのでさらに書きやすくなって、もっと沢山書くようになって……と、差は開く一方なのですよねえ。嫌いなら嫌いで、嫌いなところを書けばいいんだけれど。
しかし岬下部せすなが壮大な話を描ける気がしないんですが、これからどうなるんでしょう。

「みかんの園〜がんばれ関口さん〜」(伊藤洋行)

「これはひょっとしてギャグで描いてるのか……」としか言いようがないなぁ。ある種のシュールなギャグだとしたらかなりレヴェルが高いと思うけれど。
「おばあちゃん、今朝のキュウリよく漬かってておいしい」「そうかい嬉しいね、香織はぬか漬けの味がわかる良い娘だよ」と登場人物に会話させる(しかもあのかなりレヴェル高い表情で)人間と自分が理解しあうことが可能か、といわれると、正直なところ全くそんな気がしない。

「桃色シンドローム」(高崎ゆうき)

相変わらず道徳的ボーイ過ぎだしメタメタだし、おなかいっぱい。しあわせです。

「のののリサイクル」(原作:云熊まく、作画:綾見ちは

効率が良い、ということの問題を全く理解していないように見える。
人類の歴史から個人の成長まで、一度効率の良い方法が発見されてしまうと、効率が悪い方法に戻ることは、殆ど不可能に近い。
単純にエミュリは人間心理が読めない子だ、というのならば一応論理は成立しているけれども(それでもテンプレに沿って展開しているだけではつまらないでしょうが)、効率の良い手段を持っているからみんなに馴染めない、という面がある程度以上あるのであれば、エミュリが人間的に成長しましたよかったねで解決は出来ない。「頭の良い人は人間的に劣っている」という主張は倫理的にまずいの極みだ。

「わさびアラモードっ!!」(もみじ真魚

前から疑問だったのだけれども、(フィクションの中に出てくる)「カタギに迷惑をかけない」ヤクザというのは、どうやって採算を成り立たせているんですか?

「キミとボクをつなぐもの」(荒井チェリー

いつものことながら、荒井チェリーの基本テクニックの組合せ・遣いこなしっぷりは何ともすばらしい。
フォワードの作家全員が基本テクニックの存在と重要性を認識するようになったら、どれだけまともな雑誌になることか(絵柄の問題も幾らかはあるだろうけど、まぁ絵柄も基本テクニックといえば基本テクニックだし)。

「くろがねカチューシャ」(吉谷やしよ

裸・ブライアとか言って急に出てくるのは打ち切りネタなのかな。

「とりねこ」(野々原ちき

好きな作家さんが飼っているペットの話をするというのは作家萌えでバリバリ読めちゃうんだけれども、そうじゃなくて普通にペットでお話をつくられてしまっても僕には興味は……。

「天より高く」(現津みかみ)

情念が込められまくりな訳でも普通にかなり上手い訳でもないので、面白いとは言いがたいですが(特に、悪い意味で密度が薄いのはとてもまずい)、例えば、久我しのぶというキャラクタの発想自体は共有できるので、「一年生になっちゃったら」とか「みかんの園」と並べる訳にも、と。