「まんがタイムきららCarat」3月号

「CIRCLEさーくる」(榊)

さぁみんなで叫びましょう。「リア充、死ね!」

「とらぶるクリック!!」(門瀬粗

あー、いいのかなぁ、と(無意識的にしろ意識的にしろ)みんなが心の隅で感じていたであろう問題を、いちいち主題化してくる作者は、まじめな人なんだろうなぁ。いい人なんだろうなぁ。
いや、そもそも伏線を張っていたのは作者なんだから、桃乃さんを苛めていた作者は嫌なやつだなぁとも言えるけれど。どちらにせよ、話し合いとか近代的自我とかを大切にする人なんだろうなとは思いますよね。
しかしこの問題、誰かが反省して具体的に行動を改めない限り根本的には解決しないよね。どうするんだろ。

まじん☆プラナ」(nino)

今回も普通に上手い。
金子嬢のゆび●ッキーを誰が手に入れるか、という問題は、幾つか案が出た後に比較検討されて結局こうなった、という感があってふむふむと思う。
で、前回・前々回と感想を書きたかったのに書きそびれたので、その2回について思ったことを書いておこう。
男性主人公・女の子いっぱい作品(ギャルゲ・エロゲとか)における男性友人って、純粋に作品の目的を達成する上では何で居るのか割と分からない存在で、存在する理由がないために、作品内の幸せからひとり取り残された立場です。
それはそれで批評性とかそういう話なんですけれども、テクニカルにこの問題を回避する手段も色々あって。印象的なのは、「あっちこっち」の榊君で、この場合、原理的には榊君は(つみき以外の)他ヒロインと等価になる(あの作品は、「全員から等距離」ではありませんが、別の均衡点の上にはあります)。
しかし、河原君の場合は榊君よりもっと男性友人なので、それは無理。
この場合、親しそうなサブヒロインとくっつけられたりとかしているものだけれど、それは殆ど問題を解決していなくて、作者の発想の都合上、主人公の幸せや自由さが上に有界でないのに比べて、友人の幸せや自由さは有界になる。主人公は去勢されないが友人は去勢される、と言いかえてもいいのかな(去勢、の用法に自信がありません)。
で。
実際に河原君に起きたことというのは、以上を踏まえた上でどうするべきかと考えたときの理屈としては自然だけれども、ここまで隙なくこなされると、凄いなぁ、と思うわけです(具体的にどうなったかは書いてもしょうがない気がするので書かないでおくことにしておきます)。

「ハッピーとれいるず」(荒井チェリー

亜胡がかわいいなぁ。

「HR」(長月みそか

次回でフィナーレか。ううむ、思い出が蘇る。
どんな思い出かといえば、勿論のこと「リア充ウザいんだよさっさと死ね」とか怨念を込めながら読んでいた思い出なのだが。

はるみねーしょん」(大沖

やはり同人誌をもともと読んでいた人は応援したくなる。

「うらバン! 浦和泉高等学校吹奏楽部」(都桜和)

定期公演会の宣伝の絵ってあさみさんのみたいな感じで全然違和感ないと思うんですが、文化圏の違いでしょうか。

「ふら・ふろ」(カネコマサル

最近一番楽しみに読んでいる作品の一つ。みんな可愛くていい。師匠とか。

鳩町まめっこイグニッションズ」(櫻太助

滝沢さんの立ち居振る舞いが、ほんの数年前のヲタクの美意識、倫理みたいなのを思い出させて、作者そのものなんだろうなぁ、とか思ったりした。
つまり、とてもよかった。

「Cherry×Berry」(やまぶき綾)

Honey×〜」もそうだけれども、基本状況(この作品であれば、シスコン)のみを基本状況としてそのまま遣い続ける人なので、それが原因で連載にまで踏み出せないのかなぁ。
基本状況をそのまま遣うというのは、個人的には好感が持てる態度なんだけれども、連載には向かないということは確かだよねえ。むぅ。