「桃色シンドローム」(高崎ゆうき)1巻

>戦いのない世の中で、兵器少女が魔法少女として生きるのは、戦いか逃避か。そんな哲学的テーマは読者の関心を引くことはない――。
という風に帯には書いていて、なんでしたっけ、えっと、一般誌コードの限界、とかいうのがどうのこうのとかそういう類の漫画だという話ですが、なんかどこからどう見ても作者が批評意識強すぎてそういう読みが出来ません。ごめんなさい。
世間ではスミヤさんはどういう評価なのでしょうか。とりあえず、なんとも道徳的ボーイですよね。行動も発言もいちいち道徳的で困る(当たり前のことを説明するようだけれども、スミヤの行動が道徳的とはどういうことか:端的に言えば、実際にモモを犯しては居ない、全て冗談で済むレヴェルだということ)。
似た傾向のお話で有名な道徳的ボーイといえば例えば「CROSS†CHANNEL」の太一君ですが、あの作品はエロゲだったですよね(というと全年齢版がある事実をスルーしているような、まぁ本筋ではない)、だから太一君は「ヒロインと恋人になってその後現実世界に送り返す」×5、とかいう暴挙に出た訳ですが(道徳的ボーイが行動すると碌なことにならないというのは自明ですよね、「僕は誰も傷つけたくないんだ」云々とあまりに親和性が高いというか、そのものというか、そんな奴だから)。その一方、一般誌のエロ系コメディは、実際のエロそのものを際限なく先延ばしすることによって成り立っているわけで、それを道徳的ボーイの道徳観と組合せるというのは、コロンブスの卵でした。「冗談で済むレヴェル」のエロを描く作品は道徳的ボーイの出番が無いので、道徳的ボーイとエロは近づけると危ない存在である、と思っていたのですが、そこのところを逆手に取るとは。
と、そういえば道徳的ボーイってエロ有り作品に多いし、それ以外の作品でもエロと触れ合うことの多い役回りですよね。あれなのかな、エロって道徳的ボーイが本質的に抱えている爆弾なのかしら(頭のいい人なら2秒で答えてくれそうな疑問だ)。

 ちなみに「C†C」を引き合いに出したのは、カバー剥がしたところに書いてあるアレがあまりにソレだったからなんですが。正直この作品で一番吹いたかもしれない。
 「五日性〜」といい、最近のきららはそういう系なんですか? 純萌え4コマと百合の領域が守られる限りにおいて、僕はこの変化は大歓迎ですが。

※追記。「冗談で済むレヴェルのエロ」と書きましたが、これは冗談で済まないレヴェルのエロよりもゆるいという訳ではなくて、えっと、玄鉄絢みたいなのとでもいいましょうか。道徳的ボーイの価値観自体が相対化・無効化している場のことを指そうというつもりだったのですが、言葉遣いが不適切でした。