「そして僕らは家族になる」(荒木風羽)1巻

家族合わせのエピソードからも分かるとおり、家族というのは第一義的には父とか娘とかそういう役割名の集まりのことなので、擬似家族モノってかつては嫌っていたその役割を引き受けて(成熟して)いく話だったり、役割を形式的に引き受けていく中で芽生えていく絆を描く話だったりする訳だけど、この作品はそうではない。役割名で呼ばれるのは鈴音さん=「お母さん」のみ。
ではここでいう家族ってなんだろう?
僕たちは「家族」「恋人」「友人」「上司」「クラスメイト」といった貧しい括りでしか関係の言葉を持っていない、ということを示していることは間違いない。普段考えているスキやキライという言葉が貧しい括りであることを明らかにするだけでなくて、それをちょっと複雑でとっても素敵な意味に読み替えたときのように、家族という貧しい言葉に素敵な関係を詰め込もうとしているのかもしれない。
クレバーな彼女のことだから、そのための準備はきっと揃えているのだろう。


それにしても百合的な読みが難しい……。こういう作品で説得力の有る百合読解をするには、ヤバい系の2次創作に持っていく必要があるんだよなー。それなしで妄想できないかなー。
……あ、女体化か。