「まんがタイムきらら」3月号

きららの裏表紙を見るたびに思うのだが、「とらのあなの美虎ちゃん」は本当に異常な漫画だと思う。「可愛い(あるいは、萌える)」でじこめろんちゃんに対して、「電波」の美虎ちゃん――という関係は有意味だったりしないかな。

きららの内容の方ですが……今回は色々と凄い気が。

「あっちこっち」(異識)

つみきさんはこの作品内で唯一"内面"の存在するヒロインであるという話。
ところで、とある筋の情報によると作者はずいぶん素でコレを描いているらしいとのことですが、どういう自己認識なんでしょう……。気になるような怖くなるような。

ふおんコネクト!」(ざら)

まずは復習から。
1ループ目の「ふおんコネクト!」は基本的に、この作品の登場人物はみんな惚れ惚れするぐらいに頭の回転も速いし技能も色々持っているし、本当にすごい完璧超人である、という内容でした(「みんな、繋がってる」!)。そこから(主に夕・交流・ノキアあたりを中心にして)ぐるぐるその認識を攻めるというのが、2ループ目の「ふおんコネクト!」です。
この作品における最大の完璧超人が誰か、ということについては諸説ありますが、それが交流でないことは明らかです。
交流は、作品内で最も明確にコンプレックス・人間的欠陥が描かれている人間であり、クリスマスや体育祭の話からも分かる通り、作品内で唯一「〜すること」で精神の幼さ・脆弱さを表現された人物です(それに比べて、例えば夕やノキアの人間的弱さは、「〜できないこと」として描かれています)。だから、体育祭のあたりのアレを「交流も完璧超人のようだけれど人間らしさも持っているのね」と理解するのは意味をなしていません。「なぜ交流だけが完璧超人でないのか」という問いの方が、多分、より本質です。
さて、その中で、(家族がどうのこうのとかないために)メインキャラとしては唯一パーフェクト少女であり続けたのがふおんです。正確に言えば通果もなのですが、分かりやすい、象徴的な意味での「パーフェクト」としては、ふおんです。
そのふおんがついに。
前回に続いて今回もまたやっぱり、ふおんが超絶自意識過剰少女ですよ!
ふおんは自分の身振りが他人からどう見えているかを意識している、というのがいよいよ明確です。前回だけだったらある種のギャグとして捉えられるけれど(この作品における世界観のレヴェルがボケて良くない手だと思いますが)、今回の柱の会話におけるふおんの意味不明な言い訳は、ふおんが自意識過剰で、周りに対して演技的に振る舞っていると解釈するしかありません。
なかなかの攻めですねー。ほれぼれ。3ループ目はそこらへんに焦点が当てられるのでしょうか。樂しみです。

「メロ^{3}!」(野々原ちき

野々原ちき非モテマインドについてかなり高い認識を持っていてびっくりしました。
世界観のレヴェルがガチ・リアルじゃないのは残念だけれども、野々原ちきに要求する訳にも……かもしれません。ただ、わざわざ野々原ちき非モテ漫画を読まないでも……とかいう話はあるかもですよねえ。新しい領域の開拓?
あと、予告編だと女の子3人組視点だったけれども、これから視点はどうなるんだろう。福田君視点のみだと行き詰まりそうだし、女の子3人のみだと「ひめくらす」(藤凪かおる)と同じ問題点を抱えてしまいそうです(藤凪かおるよりも問題を上手に捌くとは思いますが)。女の子3人視点と福田君視点は交互に出てくるのかしらん。

うぃずりず」(里好

なるほど、こういう風に話を回す能力があるから評価されているのかな。でも、そういう能力単体はそれだけで意味があるというものでもないと思ったりするので、やっぱりそんな好きでもないです。
人の考え、悪意、情熱、価値観や世界観、そういうものはとても面白いです。きららの有力な女性作家の多くの面白さは、何より作者の(恐らく、多くのきらら読者とは異なる)人間観によるところが大きいです。読者にダメージを与えるためを至上の目的として、高い能力を用いる作家(簡単に言えば、「秋山瑞人イリヤを苛める最低の奴だ」とかそういう話です)は勿論腹立たしいですが、そこには(それが読者を傷つけようというものであっても)鋭い意思が存在するために、面白いということがありえます。
うぃずりず」には目的意識が欠けています。しかも、特殊なことを描いていたりしないので、読者を驚かせることもありません。

「ダブルナイト」(玉岡かがり

男装少女というのはそもそも萌え4コマで主題として扱うべきでないと思うのですが(自由に関するごちゃごちゃを避けて通るのが難しいから)、何にせよとりあえずは、漢のユキちゃんには、メタ的な面白さ(玉岡かがりに萌える)と刹那的な面白さしか無いような気がするので、女の子ベースに戻るというのは正しいと思います。
やっぱりこの作品は裏面みたいに感じるので、普通に評価するのは難しいです。

けいおん!」(かきふらい

この作品の軽音楽部、きらら系の部活の中でもかなり「なんて素敵なモラトリアム!」度の高い部活です。何もしないこと、思考重視の会話、だらける教師……。
ラノベの多くだと、もっと属性とメタ視点を過剰に注ぎ込まれているか、作者の鬱屈が反映されているか、だったりするので、ここで踏み止まる作者は気になるところです。

二丁目路地裏探偵奇譚」(コバヤシテツヤ

エミリーが身を引くことについて。
ショコラが素直になれず、あるいは所長が素直になれず、ということが傍目から明らかならともかく、今身を引いても勘違いしてひとり先走ってる痛い人です(「〜には...の方がお似合い」という主張は発想からしメンヘルです)。そこのところがキモだと思います。
しかし、「やっぱり無理…なのかな」と発言自体が(読者レヴェルで見れば)所長とショコラがくっつくことを呼び込むので、エミリーの判断は結果的に正しくなってしまいます。そこを上手く処理するのは大変そうだなあ、と。

「五日性滅亡シンドローム」(ヤス)

社会的合意の中で成立しているものを、普遍的なものとして捉えること。物価が高い、というモチーフはかなり意味が深いと思います。
4thシーズンが最後なのね。ふーむ、自然です。4が最後、というのは強いです(「n年前」は3年前と7年前と10年前が強い、というのと同じ原理です)。物価が高い、とか、滅亡、とか、そういうイメージ同士が相殺することなく、ある漠然とした方向をみな目指しています。今回の「ニート宅に転がり込むメイド」も、そこらへん上手く調整されています。
そういう風に、1つの世界観としてきちっと整合が取れているのが、良いと思います。

「―そら―」(白雪しおん

ショタといえば性格の悪い子。
女性の間では「性格が悪い女性」を排斥する圧力が強いため、性格が悪い人物への欲望をちっちゃい男の子にぶつけている、とかなのかな(妄想)。
そういうのもあってかショタはあんまり可愛いと思いません。

「1年777組」(愁☆一樹

きつねが僕の胸に直撃です。完全にやられました。まさかきららでこっち系が炸裂するとは思いませんでした。
不適切な言い方をすれば(あまりに不適切な言い方なのでしたくないのですが)、きつねがいい子過ぎます。
明確なトラウマ直撃属性として、この手のフラレっ娘は筆頭に挙がります。
非合理的な信念をあえて持つこと。近いうちに、纏まった考えにしたいところです。今はまだ上手く纏められないので文章に出来ませんが。
とりあえず、恐らく今号のベストです。扉絵のきつねの表情とか、もう、めろめろです。