「まんがタイムきららMAX」11月号

「早く感想を書かないと誰も読みやしないのだ」という思いに駆られて、ちょっと書くのが遅れただけで書くのが億劫になってしまった。宜しくない。本来は気にしなくとも良いのだ、そんなこと。

ひろなex.」(すか)

DQN
人の迷惑を顧みない人間が存在して、その人の行動が(その作品中ではたまたま)読者の倫理感に沿うものであることによって、ある種の自由は表現される。ふぉーいんすたんす榎木津。あるいは、えーと、ふおんとか?
つまりみんなDQNであるまいとしているだけでは、立ち回りレヴェルでしか物事を表現できない狭苦しい作品になるということ。このことについては、今までもちょろっと書いてきたけれども、後日きちっと纏めるべきか?
さて、それを踏まえて。特に意味もなく電話一本で長野までクーラーボックスをパシリ、というのは、どうですかね。僕はアウトでしたけれども。
勿論DQNは死ななければならないので、そーいう自由を扱おうと思っている人は気をつけようという、それ以下のことでもなければ、それ以上のことでもありません。

「兄妹はじめました!」(愁☆一樹

なんかこういうネタを読んでいたら百合にはまった、という気がしてきた。もしそうだとしたら恥ずかしい過去だ。
……勝手に過去を捏造している気もする。そうだと信じたい。

「R18!」(ぷらぱ

作者はエロゲ会社を描写するにあたって女性しか出さないことをどう考えているのだろう。
ここは女性しかいない夢エロゲ会社なのでしょうか。そういう雰囲気が微塵も感じられないなぁ、と思ったのだけれど、もしかしたら作者が萌え4コマの文脈に乗っていないとかその他諸々の原因があって僕がそう感じられないだけかもしれない。
(次回があったとして)もし男性を次回以降に出す、となると。どういうキャラを出せば成立しているのか? エロゲ会社という設定では厳しい。変態を出すとなると、作者の頭が猛烈に良い必要があるが(あずまきよひこkashmirが放っている、あのオーラのこと)、作者はそうではない。あるいは、男性キャラに惚れるのであれば、第1回からきっちり理屈を用意しなければいけないわけで、第2回以降にいきなり出てきたキャラに惚れさせても成功するとは思えない。

「ぼくの生徒はヴァンパイア」(玉岡かがり

カミラ、自覚なし!
これは非常に正しい。猛烈に正しい。与えられた現在の状況から、こういう可能性があるということを見抜けるというのはすばらしい。
玉岡かがりが時折見せる迂闊さというのは(この迂闊さが第一印象だったから、今まで僕は玉岡かがりのことを警戒していたのだが)、自分で一から状況を設定するのが苦手であることに由来するものかもしれない。一度状況が与えられた後、その中で最善手を捜していく能力は、かなり高いように見える。

「0からはじめましょう」(ととねみぎ

セレブ、という言葉を遣うのはもう止めてほしい。

「そして僕らは家族になる」(荒木風羽

最初に思ったこと:「えっと……口八丁ぐりぐら?」(いや、口八丁ぐりぐらの作品は、かなり好きです)
面白い漫画になるだろうなあ、とは思うし、こういう雰囲気の作品も悪くないとは思うのですけれども。百合に優れた才能を持った作家が百合以外の作品をやっている、というのは、なんだか損失のように思えて。三嶋くるみ然り。