「まんがタイムきららMAX」10月号

ダンボールまんをネタにしたものが2つか3つあった。
雑誌内でこういうネタが被るのはいい加減止めてほしい。

落花流水」(真田一輝

この作家の登場人物は、全て一定の型にはまった思考回路に従って動いている。ので、壁が越えられないし、たびたび酷いものを書く(「The Airs」は酷かった)。
登場人物を悪の類型にはめるのが止められないならば、せめて百合を避けたらどうだろう。

かなめも」(石見翔子

ユメのキャラデザが弱く感じる。
あと、絵柄のせいか、ごちゃごちゃとしているというか、最適配置感がない。
が、それを除けば、上手い気がする。

ひろなex.」(すか)

鮮やかなる出オチ。流石はすか。

天然女子高物語」(門井亜矢

ラスト強い。みっちょんのキャラが強ければもっと強かったかもしれない。
P.65は誤植? 1割足りないってどういう意味?

「ぼくの生徒はヴァンパイア」(玉岡かがり

言葉の最も正確な意味で常に、余裕のないカミラ、というのは、確かに1つの論理的帰結ではあるけれどさあ。
それはともかく、絵・展開・キャラの相互作用が相変わらずすばらしい。

○本の住人」(kashmir

kashmirとすかの2人は、突き詰めるとあずまきよひこになる気がする。

「はずむ! おじょうさま」(あみみ)

読者は、女の子の胸の谷間に物が挟まるのを見て、喜ばなくてはいけないのだろうか?
それを要求するのは厳しい気がする。
となると、(「アットホーム・ロマンス」のように)理不尽な公理に基づく、理不尽に論理的な展開を楽しむのだろうか?
それにも微妙に問題がある気がする。
結局性的妄想の種に遣ってくださいということなのだろうか。うーむ。この程度の性的妄想の種なんてこの世にありふれているので、もっと希少価値のあるものを目指してほしい。
別方向の作品、より異常な性的妄想、より質の高い性的妄想の種、どれでもいいから。

「まほたま」(RikaON)

羽を浮かばす魔法に「ベートヨーネハ」と名付けざるを得ない世界観がそもそも負けている。
では、どのような詠唱にすればいいのか? といえば、そもそも詠唱を必要としない世界観にするべきだ、と。僕の知る限り、優秀な萌え4コマ作家はみなそうしている。

「スキっ! キライっ!」(荒木風羽

百合作品において負けパターンというのは幾つかあるのだけれど、前回の引きだと「告白する、晴れて恋人同士になる」などの負けパターンに落ちる可能性が高いように見えたのです。
コレが何故負けパターンか? というと、まぁ説明するまでもないかもしれないけど。
この作品みたいなタイプの百合だと、恋人同士という関係が弱い。恋人という形式によって定義された絆よりも、8月号で成立した夕佳と吉田さんの絆の方が強い。というのも、よる子や真昼に、恋人という形式を信仰する根拠が見当たらないので。恋人かどうかというのは、形式に従っているかどうかと、本人や周囲が恋人と認識しているかどうかとだけからなる問題なので、これらから引いた立場で物を見る作品においては、厳しい。
この作品が何故百合かというと、勿論のこと、「スキ」と「キライ」の二項対立を脱臼させるためだ(百合といえば二項対立の脱臼、というのは玄鉄絢とかに毒されすぎた見方かもしれないが、1つの考えではあるし、この作品もその方向にあったはずだ)。それなのに、最後に告白なんてしてしまったら、興ざめもいいところだ。
さらには、この展開は萌え4コマの基本思想に反する。基本思想というのは簡単に言えば「ずっと高二(幸)」というやつのことで、このイデオロギーと恋愛を両立させるには、高い能力が必要になる。というのも、「選択」「1対1の関係」「他の人を全て無視して」などを基本思想とする恋愛は、基本的にモラトリアムを破壊する方向に向かうので。
――と、長々と書いたんだけれども、じゃあどうすればいいか? というと、うーむ苦しいなあ、という感じだった。あの引きをどう処理していいものか、とか、2人きりだとどういう風に理屈が展開していくか、とか考えると、どうしても思いつめモードに入ってしまう。

で、今回。どうなるかな、と恐る恐る読んでみたのだけれど。
……余裕の手付きで攻めきっていた。やはりこの作品は傑作だった。
荒木風羽は神だ。
神の次回作を今から期待して待つ。
そして、いつかこの作品が単行本化されることを期待して待つ。ほら、書き下ろしの短い作品2〜3個と一緒にして、短中編集にすればいいんじゃない、編集部さん? まだ遅くないよ?

「戦国≒マニアックス」(白樹大介)、「わんこなハート」(葉月みやと)

きららの後半に載っている「萌え」とか「属性」とか連呼している頭の悪い漫画というのは、一切の躊躇無しに作者を見下せるという稀有な体験が出来る作品なので、割と好きだったりするのですが。
でも、もし編集部に、これらの作品と優れた萌え4コマの区別が付かないのだとしたら――と考えるとぞっとしたりもするのです。例えば、「モエカふゅーちゃー!」を商業流通に載せようなんて思う人間とは、果たしてどのような思考回路の持ち主なのでしょうか?
僕には想像できません。